東日本大震災 会員様より
2011年03月18日
今朝小雪の中、買出しに三時間並んで食料品
気温-2.7とても寒いです。今気温雪、3度です。
娘の出産予定日3月14日なので、ライフラインが整い始めた、仙台に移動。
ガソリンが無いので、自宅に戻れない。被災地に探しにはいけません。活動ままならない。
今日から携帯電話の規制解除されました。
仙台駅、泉中央駅、使用不能。
シナプスカフェ宮城使用不能。見て確認してきました。
今も雪です。
女川町、石巻市、野蒜町、渡波町、矢本町など親戚知人会員の方々連絡取れません
岩手県宮古、大船渡、山田町連絡取れません
涌谷町は電気、水、ダメ
家の中、めちゃくちゃです。
トイレの水は、川の水汲み取って使用
風呂は仙台にきて久しぶりに
自分は札幌で地震
仙台空港がダメなので、翌日たまたまキャンセルまちで、羽田空港に、
横浜の親戚と車で水、食べ物積んで
13日横浜~新潟~山形~仙台~涌谷と一日かけて辿り着いた
女川町は20mではなく、30mの津波
高台のお墓に、電車が乗り上げていました。
娘に頼んで札幌で食料購入し経由羽田空港東京から
食料担いでバスで仙台に向かっています。
今後応援依頼する事になるかもしれないです。
その節は宜しくお願いしますが、今は
電車、水、食料、ガス、ガソリン、石油ストーブ、灯油、
何が必要なのか、今分かりませんが
生まれて始めて体験しています。
知人福島の方は子供が小さいので、放射能の飛散回避の為に、新潟へ避難生活
気温-2.7とても寒いです。今気温雪、3度です。
娘の出産予定日3月14日なので、ライフラインが整い始めた、仙台に移動。
ガソリンが無いので、自宅に戻れない。被災地に探しにはいけません。活動ままならない。
今日から携帯電話の規制解除されました。
仙台駅、泉中央駅、使用不能。
シナプスカフェ宮城使用不能。見て確認してきました。
今も雪です。
女川町、石巻市、野蒜町、渡波町、矢本町など親戚知人会員の方々連絡取れません
岩手県宮古、大船渡、山田町連絡取れません
涌谷町は電気、水、ダメ
家の中、めちゃくちゃです。
トイレの水は、川の水汲み取って使用
風呂は仙台にきて久しぶりに
自分は札幌で地震
仙台空港がダメなので、翌日たまたまキャンセルまちで、羽田空港に、
横浜の親戚と車で水、食べ物積んで
13日横浜~新潟~山形~仙台~涌谷と一日かけて辿り着いた
女川町は20mではなく、30mの津波
高台のお墓に、電車が乗り上げていました。
娘に頼んで札幌で食料購入し経由羽田空港東京から
食料担いでバスで仙台に向かっています。
今後応援依頼する事になるかもしれないです。
その節は宜しくお願いしますが、今は
電車、水、食料、ガス、ガソリン、石油ストーブ、灯油、
何が必要なのか、今分かりませんが
生まれて始めて体験しています。
知人福島の方は子供が小さいので、放射能の飛散回避の為に、新潟へ避難生活
おはようございます
16日19時にガソリンスタンドの列に並び、17日の9時に給油が完了し、
カフェにてスキンケアやシャンプーなどをもらいました。
3日前に石巻に行ったときは、雪が降っているのに裸足に拾ったサンダルで
過ごす方々が多くみられ、顔も足もあかぎれ、ボロボロになっていました
また、赤ちゃんはオムツ換えができなく、お尻がただれ泣きまくっていました。
避難所でクリーム類を差し上げると『お母さん達が笑顔できれいにいないとね』
なんて涙を流して感動してくれました。
遺体や瓦礫を乗り越え、震災後はじめて木村さん宅に行ってみると、
あらためて震災の凄さを痛感しました。
家には誰のかすらわからない車が二台激突し、大量の瓦礫が押し流され、
一階は崩壊し無惨な状況でした。
喜子さんは、そんな家を見ながら『家を失ったのはみんな一緒だから。
それよりもグループの仲間を失ったほうが辛い』と語り、
『もう一度家を建てるよ〓今度は一階に自宅サロンを作って
みんなを招待するんだ。私は絶対にやるよ』って約束してくれました。
電気も人の気配も全くない街中を21時までひたすら歩き、
会員さんへドリンクを届けました。
私自身も含め被災された仲間が身も心もボロボロのなか、
頑張れるのはフォーデイズの製品が『体』を支え、
ビジネスや仲間が『心』を支え、暗闇の中に一点の光が見えているからです。
こんな最悪な状況だからこそ、人と人のつながりの大切さを感じ、感謝しています。
『一人は万人のため、万人は一人のために』努力し、1日でも早く復興し、
フォーデイズの魅力を伝えていきましょう
16日19時にガソリンスタンドの列に並び、17日の9時に給油が完了し、
カフェにてスキンケアやシャンプーなどをもらいました。
3日前に石巻に行ったときは、雪が降っているのに裸足に拾ったサンダルで
過ごす方々が多くみられ、顔も足もあかぎれ、ボロボロになっていました
また、赤ちゃんはオムツ換えができなく、お尻がただれ泣きまくっていました。
避難所でクリーム類を差し上げると『お母さん達が笑顔できれいにいないとね』
なんて涙を流して感動してくれました。
遺体や瓦礫を乗り越え、震災後はじめて木村さん宅に行ってみると、
あらためて震災の凄さを痛感しました。
家には誰のかすらわからない車が二台激突し、大量の瓦礫が押し流され、
一階は崩壊し無惨な状況でした。
喜子さんは、そんな家を見ながら『家を失ったのはみんな一緒だから。
それよりもグループの仲間を失ったほうが辛い』と語り、
『もう一度家を建てるよ〓今度は一階に自宅サロンを作って
みんなを招待するんだ。私は絶対にやるよ』って約束してくれました。
電気も人の気配も全くない街中を21時までひたすら歩き、
会員さんへドリンクを届けました。
私自身も含め被災された仲間が身も心もボロボロのなか、
頑張れるのはフォーデイズの製品が『体』を支え、
ビジネスや仲間が『心』を支え、暗闇の中に一点の光が見えているからです。
こんな最悪な状況だからこそ、人と人のつながりの大切さを感じ、感謝しています。
『一人は万人のため、万人は一人のために』努力し、1日でも早く復興し、
フォーデイズの魅力を伝えていきましょう